大判例

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神戸地方裁判所伊丹支部 昭和43年(ワ)207号 判決

原告

森武一

被告

右代表者

小林武治

右指定代理人

下村浩蔵

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対し、金五〇〇万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

一、神戸地方裁判所伊丹支部裁判官は、昭和四〇年五月二五日、訴外森和一(のちに原告が同訴外人の訴訟承継人となる。)と被告との間の神戸地方裁判所昭和三三年(ワ)第四〇号、売買契約無効確認等請求事件につき、原告敗訴の判決が確定したことを理由として、右事件の保安処分として申請人訴外森和一、被申請人被告間の同支部昭和二九年(ヨ)第三三号をもつて発せられた仮処分命令の執行を取り消す旨の決定をなし、右決定に基づいて係争不動産に対する仮処分記入登記が抹消された。

二、原告は、前記取消決定に対し、即時抗告を申し立てたところ、大阪高等裁判所は、昭和四〇年(ラ)第一四〇号をもつて、原裁判所が民事訴訟法七四七条によらないで仮処分命令の執行処分を取り消したのは違法であるとの理由により、原決定を取り消したうえ、被告の執行取消申立を却下した。

三、そこで、原告は、同支部に対し、前記抹消された仮処分記入登記の回復登記手続の嘱託を申請したのであるが、同裁判所は、登記上利害関係を有する第三者があるのに、その承諾書又は対抗すべき裁判の謄本が添付されていないとして、右申請を却下したので、これに対し即時抗告をしたところ、大阪高等裁判所は、原告において被保全権利を有しないことを既判力をもつて確定しているのにかかる申立をするのは違法であるとして、右抗告を棄却した。原告は、これに対し特別抗告、再審、再審抗告等を申し立てたが、前記抹消された仮処分記入登記の回復登記手続はできなかつた。

四、以上のとおり、原告は、前記裁判官によつてなされた仮処分執行の不法取消処分によつて、時価二、五〇〇万円以上の係争不動産を第三者の手中に帰せしめられ、これによつて原告の蒙つた精神的、物質的損害は金五〇〇万円を下らない。

五、よつて、被告に対し、金五〇〇万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで民法所定五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、請求の原因第一、二項は認める。同第四項中、主張の執行取消決定が違法であるとの点を争い、原告が右決定によつて損害を蒙つたとの主張を否認する。

二、仮処分の申請人が、その被保全権利につき、本案訴訟で請求棄却の判決を受け、これが確定した場合、通説はかかる判決確定をもつて、所謂事情変更の一事由に該当するに過ぎず、民訴法第七四七条による取消判決を経て、はじめて右仮処分命令が失効するものと解しているが、一方本案につき請求棄却の判決が確定すれば、直ちに仮処分命令の取消判決があつたものと同視すべしとする判例(大決、大正一〇年七月二五日民録二七輯一四〇五頁)もあり、更にかかる見解を支持する有力な学説(加藤批評集Ⅰ巻五〇二頁、Ⅱ巻四六一頁)もあるのであつて、通説に反した見解がすべて誤まりであると言うことは出来ない。そもそも本案訴訟で請求棄却の確定判決があつた場合は、被保全権利が確定的に消滅したことになり、またかかる本案判決が確定している以上、仮処分はもはやその必要性を喪失したものと解され、更に保全処分の性格上、簡易、迅速が尊重されなければならない点等を考慮すれば、寧ろ後説をもつて相当とすべきである。裁判官は、前記決定にあつて、右後説の立場に立ち、本案について請求棄却判決が確定している以上、本件仮処分命令が既に失効したものとして右保全処分の執行の取消申立について、民訴法第五五〇条、第五五一条前段に則り、その執行を取消したものであつて、本件決定については何らの違法もないといわなければならない。

三、もちろん、右決定にあたり裁判官としては、良心に従い、適正な法解釈とその適用をなしたものであつて、故意、過失により違法な決定を下したと言うことはない。

四、また、本件取消決定により抹消された仮処分記入登記の回復登記が困難になつたとしても、仮処分の基本たる被保全権利が認められないとする本案判決が確定した以上、その仮処分は、もはやその必要性がなく、たとえ回復登記が可能な状態であり、回復されたとしても、いずれは取り消される運命にあつたものといわざるを得ず、本件決定により原告について何らの損害も発生していないものといわなければならない。

立証〈省略〉

理由

請求の原因第一、二項の各事実は、当事者に争いがない。〈証拠〉および弁論の趣旨を総合すれば、請求の原因第三項の事実が認められる。

ところで、法令の解釈適用は、裁判官の専権に属し、いわゆる裁判官独立の原則が支配する領域に属する事柄であるから、裁判官が当事者の権利を侵害するため悪意をもつて法令の解釈を歪曲して適用したとか、あるいは職務上の注意義務を怠つて明白な法令の誤解をおかした場合は格別、一般に法令の解釈適用につき数種の見解が成り立ちえる場合においては、たとえあるいは見解が通説とされ、あるいは上級審の判例として確定しているごとき場合であつても、裁判官は、自己の識見と信念に従つて通説判例に反する見解を採用することが許容されるのであり、たとえその見解が上級審において違法であるとして取り消されることがあつても、裁判官における法令の解釈適用につき、職務上の義務違反すなわち過失の問題が生ずる余地はないものと解するのが相当である。

おもうに、法令の解釈適用は、社会的事情の相違や変遷に伴つて変化するものであるから、通説、判例の見解が歴史的、社会的に普遍妥当性を有するものとはいえないのであつて、裁判官としては、信義則にのつとり、具体的事実に即応し、社会的、具体的妥当性ある法令の解釈適用を志向すべき義務が要請される以上、通説、判例の見解に拘束されず、自由に適正妥当な法令の解釈適用によつて事案の解決をなすべきである。従つて裁判官において悪意による法令の歪曲ないし明白な法令の誤解がないかぎり、これに対し裁判官の不法行為責任を追及され、又は国家賠償法によりその行為につき賠償を請求することはできないものというべく、これによつて不利益を蒙むる当事者は審級制度によつて自己の利益を保護するほかはないものと解する。

これを本件について見るに、原審裁判官は、本案判決において原告の請求棄却の判決が確定したことを理由として、右事件の保全処分としてなされた本件仮処分の執行を取り消す旨の決定をしたところ、抗告裁判所は、民事訴訟法七四七条によつて本件仮処分決定を取り消すべきであるとして、原決定を取消したというのである。現在の裁判実務上では抗告審の見解に従つている例があるいは多いかもしれないが、しかし原決定の見解といえども現行法の解釈論としても十分成り立ちえるものと解されるのであつて、明白な法令の誤解があつたものとはいえないのみならず、本案判決が確定し、原告の権利が既判力をもつて否定されている以上、特別の事情の認められない本件では、本件執行の取消がなされたからといつて、原告において主張のごとき不利益があるものとは認められず、結局原決定は本件事案の解決としては妥当なものであつたことが推知しえられるのである。

以上によれば、本件は、もつぱら裁判官の専権に属すべき法令の解釈適用に関するものであつて、前段説示のとおり、裁判官の職務執行につき、原告に対する関係において過失の問題を生ずる余地は全くないものというべきである。

よつて、原告の請求は、その余の争点を審理するまでもなく、失当として棄却すべく、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(安田実)

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